ごあいさつ。そして私の思いを
皆様へ
ごあいさつ
平素は、当サイトをご利用くださり、誠にありがとうございます。
2023年1月6日より運営方針を大きく変更致します。
ホームページアドレス(URL)を新規に取得し、名称も「福島復興支援応援集結サイト」から、「福島のミカタ」と名称も変更します。コンセプトもデザインも、新しく生まれ変わります。
一つだけ変わらないことは、今のところ個人活動で続けていく所存です。
リニューアルオープンに際し改めまして、ごあいさつ致します。
私のおかれている立場は、「当事者になれず、然れど傍観者にもなれず。尚、大したこともできない微力者」です。そう感じながら12年が過ぎました。
思い返せば、2011年3月下旬から現在に至る12年間、個人で非営利運営の活動をして参りました。
仕事で東京から離れることができない。それでも何かしたい。恐らく私のDNA内にある福島人の血が目を覚ました瞬間だったと思います。
すぐにホームページの作り方を本格的に学び、旧サイトを無我夢中で始めました。
最初の月は、見に来られる人が50人もおりませんでした。
広告を出していないため、当然ではありますが、それでも月を追うごとに、閲覧者数が増え、累計で百万人を超えたときは、人の有り難みを、つくづく感じた次第です。
インターネットの世界は、ワンワールドのため人間の性の全てが内在する世界であります。
インターネット上では公義と独善の区別がつかない人が、少なからずおられ、誹謗中傷で人を死に追い込んでも、心を痛めることもない人がいます。
その一方で、圧倒的に温かみのある御方が多いという事実を、福島復興支援応援集結サイトを運営する中で、改めて感じさせて頂ける12年でありました。
当初の予定では、微力でも10年間はさせて頂く。そして10年が経った2021年に活動を終えようと考えておりました。
既に終了する時期を過ぎましたが、閲覧者がおられるため、止められないと感じるようになりました。
しかし、続けようと思う気持ちはあっても、情報収集に限界を感じておりました。
さらに2011年以降、自然災害が日本国中、至る所で発生しており、このサイトを運営する意味があるのかという思いもございました。
またさらに、新型コロナウイルスの流行により、旅行者を福島に誘うこともできないため、旧サイトの更新をしばらく止めておりました。
こうした状況下でも、旧サイトにお越しになる皆様が絶えることがありませんでした。
旧サイトを閲覧される一人一人の皆様の有り難い思いを感じながら、どのように続けるか再検討致しました。
その結果、非営利運営の方針を止め、当サイトでWeb広告を活用し、安全な情報収集を試みながら、もう少し続けてみようと考えるに至りました。
そして非営利運営を、ここで止める理由は、活動費を捻出させて頂き活動の幅を広げたく存じました。
また同時に、当サイトでの広告収入の一部を、福島の復興に関連する行為に寄付させて頂くことで、実質的な支援活動ができればと存じリニューアルオープン致しました。
新型コロナウイルス・パンデミックに際し
非営利運営を、ここで止める決断の切っ掛けは、私の仕事柄、改めて考えたことでした。
福島の人達に「さらに儲けて頂き、益々豊かになって欲しい」と考えたのです。
「儲けましょう」と言うと、まだまだ日本では嫌悪感を抱く人がおられます。あるいは、うちは、この程度の儲けで充分だとおっしゃる方も、少なからずおられます。
しかし、儲けなければならない目的が二つあります。自分の大事なものを守るために儲ける。選択する自由を得るために儲ける。この二つのために、儲けることが誰にでも必要なのであります。
確かに、いかに儲けても、お金では幸せの源は買えません。
しかし、お金で大事なものを守る事はできる。裏を返せば、いかに思いが強くとも、志が高くとも、お金が無ければ大事なものを守れない。それが、人の世の厳しい現実です。
そして、お金があれば生きる上で、都度生じる選択肢を増やすことができる。この選択する自由を得るために儲けると、話しています。
但し、儲ける際には、全ての人に必要なことがあります。
不正に稼ぐ、狡く稼ぐ、違法に稼いだ金で、自分から守られるものは、心底喜ぶだろうか。幸せになるだろうか。これらを、絶えず自問自答する必要があります。
こうして儲けてさえいれば、商売もビジネスも、人の道から外れない。儲けることが、悪いのではなく、儲け方に善悪があり、金の使い方に聖俗があるだけと話しています。
儲けることは、お金が手に入るだけではない、遙かに大事なものが手に入るのです。
人が生きる上で最も辛く過酷な瞬間というものが、二つあります。
一つは、自分が誰にも必要とされていない、だから自分はこの世にいる意味が無いと感じる瞬間。
もう一つは、自分の大事なものを守れないと感じる瞬間であります。
これらの瞬間を、自分の人生から遠ざけるために、人は儲けるのですと、私はクライアントの皆様に伝えております。
儲かるということは、必ず誰かの役に立っているという証しであります。それ故に自分が、この世にいる意味も強くなり、居場所ができます。
自分のためだけに生きるものは疲弊しても、誰がために生きようとするものは疲れを知らない。それが、人間の良さであると話しています。
では、どうやって儲けるのか。ここでは長くなるので割愛しますが、ご興味ある方は、私の仕事場のホームページを御覧ください。重要なところは無料公開しています。
人様に儲け方の話をしている私が、今一度、当サイトの有様を見返しました。
そして、福島を応援する気持ちは変えずとも、具体的な経済復興の支援に舵を切る判断をしました。
当サイトの具体的な支援が、数字で見えるようにすることで、引き際のタイミングも分かるからであります。世の役に立っていないと実感できた際に、静かに退く覚悟をしました。
非営利から軌道修正することの葛藤
正直に申し上げますと、非営利運営を止めることには、しばらく時間がかかりました。
私は幼少期に、福島出身の祖父に育てられました。その祖父が繰り返し私に言った言葉があります。
「自分の行いが人様のためになっていると思った瞬間、それは善行では無くなる。人知れず、且つ無意識にできた行為だけが善行になり、またそれのみが、天に届く。天に届いた善行だけが、人徳になる」このことを、一生忘れるなと躾けられました。
人のために働く、人を助ける、人を喜ばす。人間にとっては、当たり前のことであって、誇れることは、何一つない。当たり前のことは、出来て当然。ただ、それだけのことだと言われてきました。
「善行は、陰徳を伴う」、これが、私の祖父三郎の考え方で有り、最後の日まで貫いた生き方でした。
この影響を受けているため、寄付行為や社会貢献活動を公にすることに、強い躊躇があります。このため、非営利運営を止めることも、簡単ではありませんでした。
無論、寄附行為や社会貢献活動を非公開にしたところで、人徳を積もうなどという、おこがましい気持ちは、今後もありません。
福島出身の祖父との思い出
改めて、当サイトの有様を考える中で、祖父を思い出しました。
そして令和の時代になった今、改めて考え深い、祖父の言葉を思い返しました。
生前、祖父に相談に来られた御夫婦が、「良い夫婦とは、どういう夫婦ですか」と尋ねたことがありました。
祖父は開口一番「柏手と同じ」と、答えました。
尋ねた御夫婦は、祖父が何を言っているのか、まったく判りません。
そこで祖父は、その御夫婦の前で、手を叩いて見せました。
「右手と左手を同時に叩くと、どちらの手のひらも痛くない。ところが、左手を止めて、右手だけで、左手を叩いてみなさい。途端に痛みを感じる。夫婦も同じだよ。自分が正しいと一方的に相手の欠点を責めていては、相手を痛めつけるだけで、何も生まない。人には皆、短所や癖性分がある。人の欠点を揚げ足とるだけなら、アホウでもできる。アホウでもできることを、一生懸命したところで、幸せにはなれないんだな」と、その御夫婦に話していたことを、子供でしたが、祖父の後ろで聞いていたのを覚えています。
柏手といった意味を補足すると、どちらかが我慢し、耐え忍ぶ関係では、良い夫婦とは言えない。我慢せず、思ったことは言い合う。ただし相手を責めすぎない。この間合いが、良い夫婦になる秘訣だと、祖父は教えていました。
人間関係を良好にするためには、間合いが大事になります。
夫婦の間合いを考えて生きる。家族の間合いを考えて生きる。他人との間合いを考えて生きる。末永く心を穏やかに暮らしていくための秘訣であります。
今は日本中が、他人の欠点に敏感で、人を許すことが苦手な人が増えています。
人間は、清濁併せもち未熟なまま死に至る生き物です。いかに立派な人でも欠点はある。したがって、人の世は人を許す能力が無い者に安寧の地はないということになります。
人の欠点や落ち度を責めている人自身は、気持ちが良くても、それが結果的に多くの人達を不自由にし、巡り巡って責めている本人にも戻ってくる。社会の繋がりとは、そういうものです。
この事実を、そろそろ気づかないと行けなくなった。私の祖父の言葉が改めて身に染みています。
コロナ禍が長期化する中、気づいた人もおられるかも知れません。
新型コロナウイルスだけが、人間を苦しめたのかと。全く別のものが原因で、多くの人達が危機に陥ったのではないか。私同様に、そう感じる人は、おられるのでは無いでしょうか。
病院で亡くなるということは、医療の限界か、医療過誤のいずれかです。あとは、死なない。これが現実です。そして、私の父は医師の診察ミスで他界しました。したがって、気休め無く身に染みております。
来院する人達が、この現実を覚悟し、医師は人間であって神ではないという自覚をもち、必要以上には医師を責めない社会にしていたなら、コロナ禍の情勢は変わったはず。そう感じております。
恐らく若い医師各位の方が、私以上に現実を判っていることではないかと感じています。
頭の良い人を強く責める風土にしてしまうと、賢者ほど自己防衛本能から責められる前に先手を打つようになる。この先手が、多くの人達にとって非常に窮屈な世界となっていく。医療以外でも同じ。教育現場や、行政現場でも同様かと感じます。
せっかく民主主義の社会で生きている人達が、自らの考え違いが元で自由を無くす。若い方々には本気で考えて頂きたいと願うこと、年々増えています。
SNSも今となっては無くせないでしょう。先進国の多くが何百年もかけて、ようやく階級社会でなくなり、一人一人が自由を満喫できる時代になりました。それにも拘わらず、なぜ自ら監視国家のようにして不自由を選ぼうとするのか。
これに疑問を感じ、行動に出る若者が増えないと、大変な事になると予想しています。
深い考え無く、他人を責めれば責めるほど、自分の自由もまた狭まる。
こうした現象に、そろそろ多くの人達は気づかないと行けないのではないでしょうか。
自由がなくなる前に。
広く深く考える若者が増えて欲しいと願う日々
俯瞰して世の中をみて、深くものを考える若者が増えないと行けない時代になりました。
これに気づく切っ掛けの一つが、原子力発電所の事故だと感じております。
被害に遭われた方々にとって、平穏な生活、先祖代々受け継いできた土地が、一瞬にして無くなる。その気持ちを察すれば、掛ける言葉など到底見つかりません。
また安易な同情ほど、人を傷つけるものはない。私自身も体験し、よく知っています。
そして頑張っている人に、頑張れと言うほど過酷な言葉はない。常々存じている分、福島の皆様へは、励ましの言葉も見つからないのが、正直な思いであります。
被害に遭われた方々、風評被害で困っている方々を思い、寄り添い一緒に泣くことはできます。しかし、いかに涙したとしても、私の涙では花一輪咲かせない。
国や東京電力の事情を酌み、仮に見方をしても、被害者を癒やすこと、私にはできない。
冒頭、「当事者になれず、然れど傍観者にもなれず、大したこともできない微力者」、そう感じた本意が、ここにあります。
当事者にもなれず、傍観者にもなれない、微力者の私ができることは、俯瞰して世の中を見て、深く物を考える若者が増えていくよう、メッセージを出すほかない。そう存じます。
俯瞰しつつ、様々な角度から考察し、双方が発展するように考える第三者となる。そう考える人が増えることで、結果的に福島の子供達、そして新しく誕生する子供達の未来にとって有益ではないだろうかと思うのです。
俯瞰して深く考えて頂きたいために、話を進めさせて頂きます。
正直申し上げ、私は原子力発電に賛成も反対もできません。
当然ながら放射能汚染の怖さ、後処理の問題と、風評被害の難題は、震災以来自覚しています。
多くの日本人が、原子力発電は平時で管理されていれば怖くなくても、有事では違うと気づいてしまいました。これにも拘わらず、なぜ原子力発電に賛成も反対もしないのか。厳密に言えば、安易に反対できない現実を、もう一方で自覚しているからなのです。
仮に私が原子力発電所を賛成するとすれば、以下、4つの条件が必要だと考えます。
1,戦争がない。
2,天変地異がない。
3,冷却水が確保できる地中深くに建設し、完全遠隔操作及び管理ができる。
4,放射能を無害化できる発明が生まれる。
今のところは難しいと存じ、安易に賛成ができません。
逆に反対できない理由も、また難題があるからであります。
仮に、福島の教訓から原子力発電所廃止と国が決めたとします。
その上で尚、地球温暖化防止のため化石燃料は使えません。持続可能なエネルギーとして、太陽光発電や風力、水力発電等を選んだとします。
恐らく電気料金は、今までの値上げのスピードより速く跳ね上がります。
電気料金が上がると言うことは、単に家の電気代があがると言う程度では済みません。
あらゆる物価が上がる。この現実を、どれほど多くの日本人が止むを得ないと考え、耐えられるでしょうか。
また、別の観点から言えば、3.11から原子力発電に頼らずに営めたのだから、原子力発電所はいらないと言う人もいます。確かに今のままの生活水準で、尚且つ諸外国から後れをとり日本が後進国で良いという判断であれば、可能かも知れません。
しかし、近い将来を想像したとき、現在、内燃機関で動く自動車が、電気自動車に入れ替わる。この電源は、どこから賄うのか。これは、非常に深刻な問題になるでしょう。
携帯電話を充電するのとは訳が違います。大量の自動車が夜間、充電するのです。
そこで、これらの電力を、太陽光発電や風力水力発電で賄うとすれば、恐らく日本中の景観が破壊される。違うでしょうか。
想像してみてください。例えば、富士山に大量の風車が立っている。それをみてどれほどの人達が霊峰富士と感動するのか。田園風景も風車だらけ、空き地は太陽光パネルで埋まる。観光で町おこしをしようとしている自治体は、影響をまともに受けます。
こうした状況を観光業で生計を立てている人達は、我慢し認めることができるのか。
宿泊施設は、スクラップアンドビルド方式が簡単にとれない厳しいビジネスです。別の場所に行けば良いと言えない現実があります。
さらに言えば、仮に景観美を犠牲にしたとして、本当に電力を自然エネルギーだけで賄えるのか。疑問が残ります。なぜなら、全て天候に左右されるからです。自然環境の厳しい北海道、東北、北陸エリアの人達は、冬期の間どうすれば良いのか。
そしてさらに、ビジネスの観点から深刻なことを言えば、東京都は2030年までにガソリン車販売ゼロを掲げる知事がいます。深い考え無く言っているのではないのでしょうが、大都市圏は、地方の人達の働き、この恩恵を多大に受けているところです。この自覚がないと、非常に危険な事になるとみているのです。
内燃機関車に詳しい人はご存じでしょうが、スバル車製の水平対向エンジン車と、一般的な内燃機関車とワインディングで乗り比べれば、素人でもハンドリングの違いを感じます。
このように内燃機関車の場合、各社各様の個性を表現できています。ところが、電気自動車は、急速にコモディティー化が進む。これが意味することの恐怖を、どれだけの人が自覚しているのか、非常に懸念します。
簡単に言えば、乗り心地や性能に差がなくなるということは、デザインや機能でしか差別化ができないことになります。
この結果、世界中の自動車メーカが、今の数ほど要らなくなる。これは、日本の自動車メーカーも同様です。そして、恐ろしいことは内燃機関車に比べ、恐らく電気自動車は部品の数が少ない。この結果、下請け企業の数も激減せざるを得ない。
ガソリン車販売ゼロを掲げることは、一見すれば地球温暖化対策として止むを得ないと言えます。ただし、大失業を招く恐れを、どう解決するのか。答えをもっているのでしょうか。
私のように中庸でいるということは、一見どっちつかずの卑怯者、あるいは風見鶏のように世渡り上手だと揶揄する人が少なからずおります。
しかし、中庸であるためには、俯瞰し、双方の事情を酌む能力が必要になる。この結果、思考が深まる。これを私は子供の頃に気づきました。
ここまで悲観的なことばかり申し上げましたが、いつの世も光明はあります。
暗い未来は、日本にはない。そう存じています。
日本という土地は、有事や、苦難になればなるほど良い指導者が自然とでてくる土地です。
既に、出現しておられます。私如きが、トヨタ自動車の社長(現会長/2023年3月)の話をするのは、雲の上の人を語るようでおこがましいことです。しかしながら、モリゾウさんというと、とてつもなく親近感が湧きます。
このためモリゾウさんと申しますが、モリゾウさんが、福島でされようとしていることが、近未来の自動車産業だけでなく、電力発電そのものに大きな影響を与えるだろうと感得しています。
内燃機関がベースとして使える水素エンジン車なら、自動車メーカの数も、下請け企業も今のままに近い状態で維持できる可能性が出て来ます。
この有り難み、今は実感できないかも知れませんが、非常に軽視できない現実です。
また、水素が燃料になるということは、原子力発電所の悩ましい諸問題も、50年先ぐらいには、全て無くなっているということです。
私が、原子力発電所を賛成反対もしないと、先に言った意味を御理解いただければ幸いです。
各家庭がオール電化となっても、全ての燃料は水道水で賄えるということです。水素発電というのは、これが夢で無くなると言うことです。但し、自動車の旧ガソリンタンクに水を入れ、水で走るという訳には、そうそう簡単には行かないでしょう。家庭用冷蔵庫ほどの大きさのシステムが必要となるため、自動車に搭載するスペースは難しいと思われます。
このため、水素ステーションが重要になるのです。ガソリンスタンドの代替として、スタンド経営の方々も守ることに繋がる。有り難いことをされています。
海に囲まれている日本は、燃料に困らない国へと進化するのです。
百年後の子供達は日本史のテスト問題に、豊田章男(敬称略)と書く項目が出てくると想像しています。御本人がおられるので、これ以上語るのは失敬になり割愛しますが、トヨタ自動車が水素エンジン車の拠点に、福島を考えたこと。トヨタ自動車とはビジネス上、縁もゆかりもない私ですが、明るい未来を感じます。
そしてもう一つ、ビジネスモデルの企画屋の私が余談を申し上げます。
欧米諸国が、電気自動車に移行すると決めること。天変地異が増える状況下では、人情として分かります。
しかし、欧米で勝手に決めたことが争いをつくる。それを繰り返さず、中東諸国を見捨てないで欲しい。深く考える人達が、欧米諸国にも必要と存じます。
自然環境は守られるが、争いで数え切れない人が死ぬ。それが、持続可能な社会と言えるのか。本気で考えて頂きたいのであります。
なぜ、我々アジア人ではなく、欧米諸国の方々が考え無ければならないのか。
これと同じ事が、日本国内で大組織に属する若者の皆さんにも言えます。したがって、他人事ではありません。
血を流さず世の中を良くする秘訣は、マジョリティ(多数派)の中から自浄作用が生まれる必要があるからです。マイノリティ(少数派)が世の中を変えようとすると、必ず血が流れる。歴史が証明していることではないでしょうか。
インターネットやマスメディアの発達で、多くの方々が気づいたかも知れません。
いかに正論を発信しても、無礼な人の物言いには、多くの人は耳を貸さない。
誰もが面子や沽券は生来もっているため、無礼な人間を本能が好まないのです。
いかに正論でも部外者の言葉では、大きい組織ほど変化しない。これもまた、人の世の厳しい現実です。
だからこそ、当事者が自ら進んで自浄しないと平和なまま進化できない。これもまた、世俗の摂理と存じます。
そこで話を戻しますと、福島の風評被害の難題を克復することが、世界平和へ繋がる道と考えます。
福島の浜通りエリアに、月面や火星で農業、酪農、養殖ができる施設のプロトタイプをつくる。現実に宇宙に持っていくのは、相当な先でも、これらをパッケージにして、中東諸国やアフリカ諸国にFCとして提供する。このビジネスモデルを考える人が出てこられないかと、想像しています。
人間の争いの根幹は、善悪ではなく、損得を優先し判断する本能にあります。そして、損得の判断基準で最も強い感情が、ひもじさや、惨めさからの回避本能であります。
厳しい環境下でも、衣食住に困らないようにすれば、大きな争いの芽を事前に断てると存じています。
恐らく、このプロトタイプを、福島で実現しようとすれば、資金も技術も、孫さんが必要になられる。そう存じています。
しかし、私は孫正義さんが創った起業家倶楽部出身のため、子が親を頼るのは甘えで良くないと存じ、絶対に近づかないと決めて生きてきました。
そろそろ、インターネット関連だけに固執せず、孫さんがお気づきにならないかと、夢を見ます。
コンピューター、インターネットをはじめデジタル分野は、アルファベットで動く仕組みです。したがって、日本人からガーファム【GAFAM】のような企業を生む、あるいは超えようとしても、土台から難しい。しかしながら、ロボットと自動運転技術、そして空調設備なら勝つことが夢ではなく、またこれらを制御するための延長上で開発されたAIなら、世界一になることも夢ではないと存じます。全天候型コロニーは、ロボットと自動運転技術、そして空調設備が必要になり、日本の強みが活かせる塊になるからです。全天候型コロニーであれば、農薬もいらない。牛のメタン排出も関係無い。インフルエンザで殺処分することもない。無論、無菌状態が人体に本当に良いかという別の問題は、生じるかも知れません。それでも、もし農業に菌が必要だとすれば、無論検証は必要ですが、安全に使用できる菌の目星は既についています。
全天候型コロニーの開発は、子供の夢のように感じる人も多いでしょうが、宇宙開拓や、砂漠を緑に変えるだけではない、別の可能性も秘めています。
これから先、メタバース(他、仮想現実世界含)が普及していくことは間違い無いでしょう。
しかし、メタバースとリアルワールドが別々に機能し続けていれば、多くの人は、すぐ飽きます。
しかし、仮想と現実が相互に影響し合うようになると、本当の役目が出てくる。近い将来、仮想世界と現実世界を繋ぐトンネルを司る人達が、インターネットの次に来る成功者だと想像しています。
残念なことに私のビジネスモデル企画は、理解する人がおられないことの方が多い。ご理解頂くまで20年近くかかるものばかりですので、ここで語っても絵に描いた餅と笑われてしまうでしょう。
これ以上、長く話すのは止めますが、極端な例を言えば、生まれつき太陽光を浴びることのできない子が、病室の中でゴーグルを付け、仮想現実の中に入る。そこで子牛を飼い、田畑を耕す。一見、ゲームで遊んでいるように見えて、実は現実世界とリンクしているとしたなら、どうなるでしょうか。収入を得られるようになるのです。
一歩も病室から出ない子が、自分の医療費を賄うことができる。体が不自由だという惨めな思いから解放される瞬間ができる。これが、仮想世界と現実世界の境界がなくなるということの一つの例です。
人類が有してきた空間認識そのものが、変わるということです。これが、夢でなくなる時代がきます。
余談を語りましたので、最後に誠に僭越な事を語れば、福島の浜通りを、もしもタックスヘイブンにできたなら、そして浜通りの人口より、法人数が勝ったなら、リヒテンシュタイン公国のようなことができるのではないか。
そうなれば、福島の人達は、所得税、相続税、贈与税がゼロになる。
詫びることより、一時的な賠償金を払うより。遙かに未来の子供達のためになる。人間の本能を利用すれば、人口も戻る。余計な事を話しました。
私のように中庸を旨とする者は、国や電力会社と対峙するより、利害を一致させる道を作り、3.11前より遙かに豊かな土地にする手立てを、どうしても考えようとするのです。元に戻すだけで良いではなく、元よりも遙かに良くする。それが先人の後進に対する責任だと思うのです。
お気づきになられた方もおられるかも知れません。中庸を重んじると言葉で言えば簡単です。
しかし、現実には、甲乙つけがたい物事や、あちらを立てれば、こちらが立たずと、言うこともあります。どちらかを安易に選べない。過去に前例が無く判断材料がない。また、大多数側を選ぶことで、少数側が泣く。あるいは犠牲になるということも実際にあります。
それでも尚、最終的には判断し、択一しなければならない事態があるのも、人の世の現実です。
前例の無いもの、容易に択一できない事案に対して、何を基準に判断を下すか。そして下した判断に賛同者が、どれほどいるか。あるいは、当事者の士気を下げずに説き伏せることができるのか。
これらの訓練こそ、大組織の中で行うべき経営者、幹部候補教育だと私は話しています。私たちの言葉では、姿なき真を感得し判断できる心根を持った状態を、マスターマインドと呼びます。私が考えるリーダー教育は、このマスターマインドの修得と、他者を感化できる心身の習得です。初耳かも知れませんが、リーダーになるための体というものが、実はあるのです。
今、多くの大組織が、知育や業務経験だけを重んじて幹部を養成しています。これにより、知性の領域では優秀な人達を育てる事に成功しています。
しかし、その反面、弊害が生じ始めていると感じます。その一例は、頭が良くても、現場の士気を上げられない。構成員に誇りを抱かせる術が無いために、不祥事防止ができない。リーダー体質の体を有していないため、威張ることがリーダーシップだと錯覚を起こす。尊大や威嚇と、覇気から出るエネルギーの違いを知らないためです。
ほんの一例ではありますが、これらに現れています。
人の前を歩く者、人の上に立つ者は、知性の領域だけでなく、徳性の領域も同時に得ないと駄目なのです。これは、理屈で理解できる領域ではなく、感覚として体得する領域です。だからこそ、時間もかかります。
新しい世界を創る若い人たちには、この事象に気づいて欲しいと願っています。
余談ばかり申し上げましたが、御容赦いただければ幸いです。
福島の子供達に未来が明るいことを感じて欲しい。
福島から世界を見て変えることもできる。
宇宙に目を向ければ、世界平和も早くなる。歴史の流れから学べます。
いつの世も安寧からは、偉人は生まれない。
これに気づく子供達が、福島から増えること、心より願っております。
艱難辛苦は、不平不満に陥らず果敢に乗り越えようとする者には、全て身になるようにできている。大勢の人達を見てきた実感であります。
恐縮ではございますが仕事柄、私の顔をお見せすることができません。
それは、覆面による現場調査を大事にしているからです。経営に問題が生じる原因は、本社内だけとは限りません。多くの場合は、現場に答えがあります。そして現場から答えを得るためには、独特の視座が必要になります。単純なインタビューやアンケートでは、現場の人たちの本心と真実が見えないことが多いからです。この場合の本心とは、本音だけではありません。当該者の自覚のない深層心理も含むのです。このため、私自ら現場に伺い、場の空気の流れ、人心の流れ、お客さまの様子等を観察し分析します。こうした行為を、何よりも重要視しています。私が顔を出さない理由は、ここにあります。御容赦ください。
しかしながら、この度は私の人となりの輪郭だけでもお見せしなければ、不誠実になると存じました。
福島には、GReeeeNという顔を見せない四人組のバンドがいます。
彼らは顔は見せませんが、大事な物は包み隠さず表現すると感じています。彼らの音楽は、人にエネルギーを与える良い曲です。その彼らにあやかって、私も行動しました。
御多忙のところ最後までご覧頂き誠にありがとうございました。
心より感謝申し上げます。
福島の方々に、多くの温かな人達の支援が集まりますよう心から願い、微力ではありますが活動して参ります。

